私とは何かー「個人」から「分人」へ
平野啓一郎
2012
講談社現代新書
分人思想について
- 本当の(あるいは嘘の)自分・自分の中心は存在しない
- 個性は分人の構成比率によって決定される
- 他人から個人として勝手に規定され、矮小化されることが不安を引き起こす
- 「普通の人」=社会的分人は幹細胞・胚の状態であり、より分人を深化させる用意が整っている状態といえる
- 「平等」とは、万人に対して同じ分人でいることではなく、誰に対しても平等に分人化を進めることである
小説という手法
- 本書では、著者の知識的背景(ex. 京大法卒)に根ざした「私/個人とは何か」という問い、そして小説を通した問いの探求について書かれていた
- この場合、著者にとっての「問い」=テーマであり、小説は問いかけ・探求の手法であるといえる
- 小説のテーマはどんな風に決めるのか、なぜ小説にするのかという疑問に対する答えのひとつ
関連して読みたいもの
未読:空白を満たしなさい、マチネの終わりに、フェカンにて
既読:愛とためらいの哲学、科学哲学入門
イメージしたもの
- ポテンシャル図
日々更新される分人構成比率(バランス)の変化=生⇛中心は無いが、重心というか最安定状態はある、最安定状態を基本として周囲の環境によってゆらぐ
- 積分したら1
個人を整数とするならば、分人は分数であり足して1になる⇛足し算というよりは積分?物理的な占有率×優先順位(好きな分人でいられる相手かどうか=エネルギー的に有利かどうか)、あるいは、全分人の存在確率の和が1
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